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『「バラ寿司」についてのうんちく、「ちらし寿司」との違い』

 

今回のテーマはバラ寿司についてなのですが東京(首都圏、関東、あるいは東日本も含めて東京という場合もある)には昔からバラ寿司という言葉はないのです。手元の広辞苑を見てもバラ寿司で引くと、ちらし寿司を見ろと出ます。バラ寿司のことをちらし寿司と同じだといっているのですが、実際はそうではないので違いを知っていただこうと取り上げました。

≪話の展開上多くの皆さんがよく知っているちらし寿司の方から先に説明します。≫

ちらし寿司とは

生魚や玉子焼き(刺身や握り寿司の種)などを、酢飯の上にちらして飾り載せしたもの。具を散らして作ることから「ちらし」と呼ばれる。
江戸前寿司店のちらし寿司(握り寿司用の生魚を含む寿司種(ネタ)を酢飯の上に並べる)、北海道の生ちらしなどがある。
使用するタネは、マグロ・ネギトロ、ホタテ、サケ、イカ、エビ、タコ、イクラ、ウニ、カニなどの魚介類と、卵焼き(錦糸卵)、ガリなど寿司の素材に用いられるものが一般的で、ほかに青紫蘇やキュウリの薄切り、茹でたキヌサヤなどで彩りを添え、ワサビを添えることが多い。
たねを小皿にいれた寿司用醤油に付けながら食べる。醤油を垂らして食べることもある。

ちらし寿司の場合、ネタがそれぞれ大きい(にぎりと同じくらい)で行儀よく並んでいるイメージ。いわばにぎりのお寿司をそのまま握らず丼の上に展開した感じ。

似たものに海鮮丼があるがあれは寿司屋では売っておらず、すし飯ではなくただの白いご飯の上にちらし寿司と同じような具を載せたものが多い。
●東京のちらし寿司は江戸前のすし屋が開発した商品なのです。江戸前の握り寿司屋ができたのが江戸時代後期で明治以降にひろまったのでそこが開発したちらし寿司はさらに後と考えられるので比較的歴史はあたらしいのです。遠い昔から自然発生的にある食べ物ではないのです。

≪現在は東京方面ではちらし寿司というともう一つ別の意味もあるのですがそれはちょっとおいておきます。≫

バラ寿司とは

五目寿司ともいうが、家庭で作られる機会も多く、祭礼などハレの日の手作り料理として供されることが多い。(とくに雛祭りなどではよくつくりますね)

バラ寿司は細かく切った魚介類(煮るか焼くか、酢漬けにしたもの)、野菜などの具を酢飯に混ぜ混み、彩りにしょうが、錦糸玉子を飾る。具にはさらに干し椎茸の煮つけ・かんぴょう・酢蓮根・海老・焼穴子等がよく用いられる。

酢飯の中に混ぜ込む具として、一般に干し椎茸や干瓢(かんぴょう)の煮しめ、茹でたニンジン、酢蓮根などをベースに、たとえば桜の花びらの甘酢漬け、筍の水煮などで季節感を出すなどの工夫が可能で、さらに竹輪や蒲鉾、田麩(でんぶ)、油揚げの煮つけ、味を付けた高野豆腐、茹でた蛸・海老、焼穴子、イカの煮付けなどさまざま。これに茹でた絹サヤ・隠元で青い彩りを加えるなど、地域・家庭ごとに多様な具が用いられる。具を混ぜ込んだのち、お皿に盛りつけるとき錦糸玉子や刻み海苔、ガリまたは紅生姜、イクラなどをあしらう(上に乗せる、または振りかける)。
●具を酢飯に載せるのではなく酢飯と混ぜるのが特徴なので東京周辺の人は後にバラ寿司を作るようになったときこれを「まぜごはん」ともいう。「まぜずし」と言ってほしいな。

なぜバラ寿司というようになったか 語源

『日本国語大辞典』によると
「ばらずし(散鮨)=ちらし鮨の別称。」押し鮨、握り鮨などに対し、鮨飯をばらばらにしたままなので、そう言われている。

●バラ寿司のバラは酢飯がバラバラから来たわけですね。一方ちらし寿司のちらしは具を散らして載せたというところからきていて、語源も飯と具の違い、つまり視点の違いかあり面白いですね。

私の田舎香川県の様子

私の田舎四国、香川県では子供のころ(~高校まで)はお寿司と言えばバラ寿司を指し、その他に巻き寿司と狐寿司があり、当時は江戸前の寿司屋も近くにはなく、握り寿司もなかった。
香川県では当時うどん屋にはバラ寿司(とおでん)がほとんどの店に置いていた(今も置いているところが多い)。

バラ寿司と言えば岡山県のバラ寿司が有名

大阪などの関西でも同様の名称のばら寿司があるが、それよりも具材の品目数・大きさ・量が圧倒的に多いのが特徴である。この寿司の発祥は、江戸時代の岡山城下とされる。

地域や季節によって内容が変わるものの、基本的に椎茸・干瓢の煮しめなどの少量の切った具を混ぜ込んだ酢飯を作り、その上に錦糸玉子を敷き、さらにその上に茹でニンジン、酢蓮根、エンドウ、竹輪、蒲鉾、田麩、味を付けた高野豆腐、茹でた蛸、殻付の海老、焼穴子、烏賊、蛸、藻貝、鰆、ママカリなどの具材を大きめに切断して(藻貝やエビ、エンドウなどは切らない)敷き詰める。また生ものはあまり使用されない。

岡山のバラ寿司の由来は面白い!

質素倹約を奨励し、庶民の奢侈をたびたび禁じた備前岡山藩藩主の池田光政が、汁物以外に副食を一品に制限する「一汁一菜令」を布告したことが、岡山名物のばらずしが生まれた背景となっていると説明している。
すなわち倹約の趣旨で出された「一汁一菜令」をかいくぐる脱法行為(??)として発展したと言うものである。やむなく庶民たちは、たくさんの魚や野菜を混ぜ込んだ寿司飯を「一菜」とし、それに汁物を添えて、体裁を「一汁一菜」としたのが発祥です。

●おじさんの解説

池田光正公が岡山藩主となって政治をしていたのは1632年~672年までで「一汁一菜」の話はこの時代のもの。この時代は分かり易い例で言うと3代将軍徳川家光の時代。もうこの時代には岡山ではバラ寿司ができていたということになります。
江戸前の握り寿司が出てきたのは江戸時代の末期頃なのでその握り寿司屋が冷蔵技術の進歩で明治以降に広がり、その後1軒のお店が商品開発したちらし寿司は歴史が浅いのです。

東京にはバラ寿司の名は無く、ちらし寿司が2種類

今東京方面ではちらし寿司というと先に説明した寿司屋が開発したが寿司ネタをすし飯の上に散らし載せたちらし寿司の他に、後で説明したバラ寿司もチラシ寿司というようになっています。つまり、2つの違う商品が同じちらし寿司という名前なのです。

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